2015年1月18日日曜日

医療はサービス


 体調がが悪かったらすぐ病院へ。
 悪くなくても定期的に健康診断を。

 これらは日本人なら当たり前の感覚ですね。
 では、すべての医療費が全額負担だったらどうでしょう。

 簡単な手術を受けたら200万円請求された。
 歯の根っこの治療を受けたら100万円取られた。

 これが全額負担の世界であり、本来は個人個人が受けた治療に対して負担すべき金額となります。
 しかし、それでは家計を圧迫してしまい、生活そのものが立ち行かなくなる人が続出します。
 その代わりに各人で払える分だけの金額を健康保険料として徴収することによって、そのなかから医療費をまかなうシステムが今の健康保険制度のありかたですね。

 では、健康保険料を払ったほとんどの人が何らかの疾患をかかえて病院通いや入院をするようになったらいかがでしょう。
 徴収した保険料ではとても払いきれなくなってしまい、健康保険システムは破たんします。
 日本が高齢化社会に突入したこともあって、その傾向が高くなりつつあります。
 賃金を得ていない人たちから医療内容に見合った分の保険料を徴収できない一方で、彼らの方が若年層に比べると格段に多くの医療サービスを必要としているからです。

 ですから、本来の医療費のバカ高さを意識せずに、一割負担、三割負担の請求額を見て、安く済んだと思ってはならないのです。

 現役として働くのは体力的に厳しい高齢者もたくさんいることは事実ですし、いくら体力がある人でも、周りがみな引退していれば、老後の楽しみまで放棄しろというのかと憤慨する人も出てくることでしょう。
 しかしながら、冷静に考えて、生涯現役のシナリオがますます現実味を増していますので、いずれは高齢者自身の考え方の転換も求められていくことでしょう。
 その流れの中で、健康保険料の企業への負担増、個人の保険料引き上げは免れないでしょう。

 いずれは救急治療室でこのような会話が交わされる日も遠くないかもしれません。

「失礼ですが、治療費、ベッド代もろもろの費用を払えますか?」

 もちろん、払えなければその場しのぎの処置をして終わりです。
 治療なんてとんでもないと断られます。
 そんなとき、きっと私たちはこう言うでしょう。

「医者は人の命を救うのが仕事だろう!瀕死の人間を見殺しにする気か!」

 彼らだってできることなら救ってやりたい気持ちはやまやまです。
 しかし、その医療費は誰が負担するというのでしょう。
 高度な医療をボランティアでやれという、患者のとんでもない要求に応える医者がどれだけいるのでしょう。

 実際、そんなことが起こっている国は思いのほか多いのが現状です。
 私の知っているかぎりでもアメリカ合衆国、インドネシア、シンガポールなどがあります。
 それぞれの国で独自に自己負担額を減らす試みは行われていますが、万が一払えないということになると、とてもドライな対応が待っていることは共通しています。

 ボランティア精神あふれる人が国に多額の寄付をすることによって医療費をまかなってくれたり、医師自身が自腹を切ってまで医療に従事するようになれば別の話ですが、それは過度な期待というものでしょう。

 医療は義務ではなく、サービスなのですから。

 なーんて話をこんな曲を聴きながら書いております^^。