2016年4月18日月曜日

熊本地震

 2011年の東北大震災から 5年。当時、九州は大丈夫と言われていたものの、まさかの大惨事が起こってしまいました。
 一日も早く今までの日常が戻ってくることを願いながら、できる範囲で協力させていただきたいと思っています。
 うちの場合は、遠い親戚が熊本にいるので決して他人事ではありませんが、こういったニュースが出るたびに、所詮他人事としかこの事実を受け止められない人も割と多いのではないかと思います。
 実際に自分の家がダメージを受けたとか、ガス、電気、水道、交通網すべてがストップして不便な思いをしたとかでもないかぎり、その悲惨な状況を想像できないのは仕方のない部分でもあります。
 しかしながら、いざとなったら応援の言葉などは単なる気休めでしかなくなってしまいます。生きることが先決で、心のケアはその次ですから。
 「いたわりの言葉より物を」 共有できなかった「3・11」の教訓
 日本に住んでいるかぎり、常に地震の危機とは隣り合わせの生活となります。普段は日常があたりまえのように過ぎてしまうので気づかないだけです。
 次は東京かもしれません。30年以内に首都圏に地震が起こるという予測はでていますし、都心部の危険レベルは 5 (真っ赤)ですから、被災したときには被災地のみならず、日本全国に多大な影響を及ぼすことはまちがいないでしょう。 クライシスマップ
Google クライシスレスポンスより

2016年1月26日火曜日

コメント欄を閉じる予定です

 ご訪問ありがとうございます。

 こちらのブログは 2009年から続けてきましたが、近いうちにコメント欄を閉じます。

 ブログの方は続けていく予定ですが、コミュニケーションの時間が捻出できなくなりそうです。
 そのためのコメント欄閉鎖となります。

 この件については、100万アクセスを迎えたころにでも改めて記事にしたいと思います。

2015年11月25日水曜日

スターウォーズでお母ちゃんハツスル

 普段は下らないジョークを飛ばしあっている私たちでございますが、先日、同居人が仕事中に電話をかけてきたわけですよ。

  クソ忙しいときにこんな感じで。

「タイヘンタイヘン!」
「何がヘンタイ?」
「『スターウォーズ フォースの覚醒』どうする?」
「え、そりゃーもちろん観に行くよ。一緒に行くでしょ?」
「うん、そーだね。じゃあちょっと待って」(ガチャ切り) 

 話の流れがつかめぬまま、5 分ほどして再び電話が鳴りました。 

「フー間に合った。母さんが前売り鑑賞券買うから一緒にどうかって言っててさ。」  

 母さん何を血迷ったのか、約30席分予約したそうで、私たちの分まで確保しようとしていたようです。
  映画鑑賞のためにわざわざ渡航しろと?と一瞬思ったのですが、久しぶりに顔見せに来いとうことを暗に示したかったのではと想像してみると、ちょっとだけ罪悪感が込み上げてきましたな。

2015年8月27日木曜日

パスタ話をしたら自慢屋だってさ

 いままで食べたパスタで一番美味しかったのが東京にあるレストランのトマトパスタだったとネットの掲示板に書いたら、この自慢野郎という返信がついてヘコんでいた同居人。

 発言内容のどこか悪かったのかと聞いてきたのでこう即答しましたよ。

 「どこも悪くないよ」

 海外の掲示板サービスでのできごとでしたので、そこのメンバーからしてみれば遠い日本の話をされてもねえ、という感覚だったのかもしれません。

 しかし、たとえば日本でも誰かがナポリの石釜ピザの味が一生忘れられないと言ったところで、へえ、そうなんだという程度の反応を示す人が多いのではないでしょうか。

 それでも納得いかない様子の同居人。
 意外と繊細なんだよな~~と思いながら、もっとわかりやすい説明をつけてみました。

 「生まれてこのかた海外に行ったことないヤツがいるとするじゃん」
 「ウン」
 「そいつの食生活が朝はマック、昼はタコベル、そんで夜はドミノピザ、みたいなジャンクフードのローテーションだったりするわけさ」
 「わかった。それで?」
 「そういう食生活があたりまえのところに、誰かが海外のウマくてオシャレな食べ物の話をしたとしても、当然面食らうわな。異国の地の料理話を、あたかも日常のようにされて、妬んだんだろうよ。自分が知らないことだから」

 ようやく同居人に笑顔が戻りました。 

 「なるほど、なるほど。そうか、そういうわけだったのか!」 

 いや、自信などこれっぽっちもござーせん。
 そもそもまるっきり私の勝手な想像なんですから^_^。


2015年7月29日水曜日

イジメはなくならない

 イジメを苦にした自殺のニュースが出るたびに心が痛みます。
 人を死においやるほどの陰湿なイジメ行為がこの世からなくなれば、もっと人間は豊かに生きられるだろうにと強く思います。

 私が学生の頃にもイジメは存在していました。
 そしてイジメがもとで不登校になってしまう生徒もいました。

 最近のイジメが陰湿になったとは言われますが、もっともっと前の時代にも質の悪いイジメは存在していました。
 イジメる側が悪いことにまちがいはありません。
 しかし、イジメる側の人間を厳しく処分したところで、今度は別のグループが似たようなことを始めるだけの話です。

 動物は本能的に闘争心を持っています。
 同じ檻に入れられたら競争と力関係が生じ、支配する側とされる側のしくみができあがっていきます。

 主従関係を築くための高度な知能を持たない個体なら、殺し合いや共食いなどの方法で自分が生き延びようとします。 
 人間も動物ですから、例外ではありません。

 主従関係の従属側に置かれた立場の人間は、支配側の人間に服従するように仕向けられます。
 自分の立場を見つけるためには避けて通れない道ですし、ほとんど誰もが他より良いポジションに立ちたいと思うでしょう。

 生存欲求がそうなっているため、社会を知らない子供たちが本能のままに行動すれば、当然イジメという形で主従関係(支配関係)が現れます。
 しかしながら、年齢にかかわらず、実際のところ様々な形でこのような力関係は存在していることは言うまでもありません。 

 イジメはなくなりません。
 しかし、救済に回る能力のある大人が逃げ回り、責任のなすりあいをしている現状は改善が必要です。


2015年6月4日木曜日

オジ~~!できることなら単独で見たいぜーー

 今年の11月にオジー・オズボーンが幕張メッセに来ます。楽しみです。

 昨年11月には 2015年の Ozzfest 開催自体は決定していましたが、場所や日程が最近公開となり、先行予約が始まっています。




 11月21日(土)と11月22日(日)の二日間の大型ライブで、オジーのほかにもコーン、エヴァネッセンス、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインなんかが並んでましたが、コーンはともかく(趣味じゃないけど)一日目のエヴァネッセンスってハードロックでもメタルでもないしな……ファンの方には申しわけないですが。

 オジーファンは、できることならオジーだけ見たいって人ばっかりだと想像するんですよな。
 オジーは過去に2回見に行ってますが(二回目はギター担当ザック・ワイルド目当て)、多分これがオジーの雄姿を拝める最後の機会になりそうな気もするし……。

 今回はザック・ワイルド率いるブラック・レーベル・ソサイアティもオジーと一緒に来るのでダブルで見られるのは嬉しいのですが。
 しかしなぁ……フジロックのときもマジで思いましたね。

 お祭り気分で全部見たい人向けのチケットと、見たいバンドだけ金払って見たい人向けのチケット用意してくれって。

2015年4月27日月曜日

教祖になれなかった男

 オウム真理教サリン地下鉄事件を知らない世代の人口が増えつつあります。

 1995年に発生した事件ですし、それ以降に生まれた方が続々と成人を迎えていきますので、それも致し方のないことです。
 こう書いてしまうと時の流れを感じるばかりですね。

 しかし、無差別テロはまたいつ起こるかわかりませんので、このような無差別テロ事件があったという事実を風化させてはなりません。
 とまあお堅い書き出しになりましたが、今回はその当時の友人 T の話をブチ込みます。

 T はかつての同僚でしたが、転職してからもよく遊んでいました。
 そんな中でサリン事件が起こったわけですよ。  かつて私の知り合いからも信者が出たくらいですから、危険な思想をもったカルト教は結構身近なところにあるものだと思いました。

 「全財産差し出して厳しい修行に耐えるなんてありえないね。」

 ガムシロップですっかり甘ったるくなったアイスコーヒーをストローでかき回しながら、達観したような表情を浮かべる T。

 「出家するなら財産放棄するのが仏教思想だから、それは仕方ないでしょう。」

 なんて正論かましたところで、オウム幹部が私腹を肥やしに肥やしまくっていたのは周知の事実でございます。
 すると T が爆弾発言を投下しました。

 「俺なら、もっとみんなが幸せになる新興宗教の教祖になるね。」

 今思えば、なぜか私の周りには教祖になりたいという願望を持つ奴は数人いましたね。
 そんなアホな、と思いながらもどんな構想なのかを聞いてみたわけですよ。

 「名前は T教(自己愛感丸出し……)。で、そもそもお布施の金額が決まってないのが悪い。だから一律 500円。」
 「で、教義は?」
 「なにもしないことだよ。ドリンク 1 杯ふるまって騒ぐだけ。修行ナシ。」

 完全に曖昧です。

 「お布施で集めた金はどうなるの?」
 「それは俺のポケットマネー。宗教団体は課税されないし。でも 500円でみんなハッピーね。」

 いやいやいやいや、それが私腹を肥やすってことでしょーよ。
 それ以前になにがハッピーなのかわからん。

 目のまえで聞いている私でさえ、そのカラクリはミエミエです。

 「俺は信者にイヤな思いをさせたり、苦痛を強いたりする宗教って間違ってると思うけどな。」

 こればかりは個人の受け止め方の違いなので何とも言えません。
 ただ、ひとことだけ言っておきました。

 「そんなんじゃ人は集まらないだろうね。」

 その後、T教が広まったとか、ニュースになったとかいう話は一度も聞かれません。
 そしてとうの本人もとっくに忘れているであろうことは自身を持って申し上げられます。

 しかしですよ、たまーに話題になるこの手の信仰宗教とか、詐欺行為とかフタを開けてみるとしょーもないカラクリだったりするんですよね。
 しかも、大勢の人集めに成功しているというこのミステリー。 

 それがカリスマというやつなのでしょうけれど。


2015年3月25日水曜日

フーゾク取材の黒歴史

 恐らく、当時私と行動を共にした人は「あいつだ!」と心の中で叫ぶかもしれませんが、その叫びはどうぞご自身の心にそっとしまっておいてください。

  私のフーゾクとの出会いはハナタレもいいとこの 10歳の頃でした。
 小学校高学年の社会研究の時間のことです。

 普通なら、地元の歴史を調べたり、工場や会社などを見学させてもらったりするのが子供らしい社会研究の行動じゃあないですか。

 「これからはフーゾクでしょ、フーゾク。」 

 と同じ班のハナタレ男が、風俗産業で決定とばかりに私たちに吹聴してまわりました。
 エロいマセガキで有名な彼のことです。

 鼻の下をビローーーンと伸ばしながら、きったない字でノートに質問事項をまとめはじめました。 

「おまえらさ~、フーゾクってなにか知ってる?」 

 ポカーンとアホ面をかます私たちを前に、彼が続けます。 

「きれーなお姉さんが出てきてさ~」

 それでピーンときましたね。  

「エッチな本みたいなことをするんでしょ?」

 なぜか眠たいはずの授業中、私たちの班が異様な盛り上がりを見せはじめました。
  もう全員ノリノリ状態です。
 電車に乗って取材しに行こうということになりました。 

 そして電車に揺られて行ったのが新宿、歌舞伎町ですよ。
 今考えてみれば、ハナタレのガキとはいえ、昼間でも小学生のグル―プがフラフラするような場所ではありません。 

 昼間はギラギラした雰囲気ではないのですが、スーツを着た夜の商売人たちがフラフラしていましたね。
  取材写真として、電気の通ってないネオンサインやお姉ちゃんたちの看板をインスタントカメラで撮りまくったわけですよ。

 「やっぱり話も聞かないとね」 

 などと言いながらも、コワイお兄さんたちに話かける勇気はありません。
 地元でも子供が行方不明になった話を聞かされていたせいもあるでしょう。
 ひとしきり写真を撮ったあと、エロいリーダー持参の地図に書かれたマルを頼りに区役所まで行きましたよ。

 フーゾクについて教えてくださいと言ったところ、担当のオッサンに爆笑されましたが、風俗産業の問題点をいろいろ説明してくれて、社会的にはなくしていくべき産業だが、それを必要としている人もいるんだよねーとミョーに意味深な言葉で終わりました。
 エロい情報をたくさん仕入れるはずが、結果的に大真面目な社会研究テーマとなりました。

 週が明けて模造紙にマジックで情報を書き込みながら、なんか一仕事やりとげたような達成感をメンバー全員が味わいましたね。

 ネットがなかった時代でしたので、規制がユルかっただけかもしれませんが、よく担任がこのテーマを許したなと今でも思うわけですよ。


2015年3月2日月曜日

皮肉にも当たった予言

 予言って誰にでもできます。
 それが当たるかどうかはまた別の話というだけで。

 もちろんその多くはハズれてくれます。
 やってみたい方は、ノートの切れ端とか、ネットのどこかに投稿してみたりしてもよいかもしれません。 

 タイトルに戻りますが、当たったのは私の予言ではありません。
 十年くらい前にネットでちょっとだけ話したことがある日本人のヲッサンでした。
 当時は時事問題をあつかった文章をたまに書いていたのですが、そこに意見を書き込んでくれていたのが彼でした。

 私のプロフィールを見て年下と判断したのか、いきなりタメ口でしたけどね。
 でも、こちらは上下関係を意識した態度を取らなければアウトなんだろうと思い、敬語づかいで丁寧に応対していました。

 正月は初詣、盆暮れ彼岸に墓参り、クリスマスにはサンタがやってきて、結婚式はチャペル、葬式に坊さんが来るという、日本人の宗教観の節操のなさ(よい意味で)について書いたときのことです。
 すかさず、ヲッサンが元気にやってきました。 

「今世紀は宗教問題が表面化するよ。とくにイスラム教の台頭がすごくなって、日本も絶対に無視できなくなる。大規模な紛争も勃発するね。」

 「日本のキリスト教徒の割合が 1% たらずなくらいですから、国内でイスラム教徒が激増する可能性は低いでしょう。」

 「違うよ。親日派が多い中東で日本を敵視する勢力が出てくるんだよ。多分ね。」

 いまとなっては、最後の「多分ね」がシャレにならない当たり具合でございます。
 当時の Web サービスは終了して跡形もなく消え去ってしまいましたが、あのヲッサンとまた話す機会に恵まれたら、その続きを是非聞かせてほしいものです。


2015年2月13日金曜日

ブーブー

 ちょっとした不満というのは誰にでもあるものです。
 実生活ではあまり不平不満を垂れないようにしているのですが、ちょっと言いたくなったときのために、こんな提案をしてみました。

「言いたいことを言ったら、最後にブーつけようよ。その方がイヤミな感じがしないし」

 いいよ、という返事だったので、ブーブー使ってみました。

「それはイヤだブー」

「何それつまんないブー」

「忙しいからそんなことに構ってられないブー」

 といった具合です。
 さすがに真顔でブーブー連発すると、ちょっとカチンとくると言われたので、ご機嫌をとることにしました。

「コマンタレブゥー?」




2015年1月18日日曜日

医療はサービス


 体調がが悪かったらすぐ病院へ。
 悪くなくても定期的に健康診断を。

 これらは日本人なら当たり前の感覚ですね。
 では、すべての医療費が全額負担だったらどうでしょう。

 簡単な手術を受けたら200万円請求された。
 歯の根っこの治療を受けたら100万円取られた。

 これが全額負担の世界であり、本来は個人個人が受けた治療に対して負担すべき金額となります。
 しかし、それでは家計を圧迫してしまい、生活そのものが立ち行かなくなる人が続出します。
 その代わりに各人で払える分だけの金額を健康保険料として徴収することによって、そのなかから医療費をまかなうシステムが今の健康保険制度のありかたですね。

 では、健康保険料を払ったほとんどの人が何らかの疾患をかかえて病院通いや入院をするようになったらいかがでしょう。
 徴収した保険料ではとても払いきれなくなってしまい、健康保険システムは破たんします。
 日本が高齢化社会に突入したこともあって、その傾向が高くなりつつあります。
 賃金を得ていない人たちから医療内容に見合った分の保険料を徴収できない一方で、彼らの方が若年層に比べると格段に多くの医療サービスを必要としているからです。

 ですから、本来の医療費のバカ高さを意識せずに、一割負担、三割負担の請求額を見て、安く済んだと思ってはならないのです。

 現役として働くのは体力的に厳しい高齢者もたくさんいることは事実ですし、いくら体力がある人でも、周りがみな引退していれば、老後の楽しみまで放棄しろというのかと憤慨する人も出てくることでしょう。
 しかしながら、冷静に考えて、生涯現役のシナリオがますます現実味を増していますので、いずれは高齢者自身の考え方の転換も求められていくことでしょう。
 その流れの中で、健康保険料の企業への負担増、個人の保険料引き上げは免れないでしょう。

 いずれは救急治療室でこのような会話が交わされる日も遠くないかもしれません。

「失礼ですが、治療費、ベッド代もろもろの費用を払えますか?」

 もちろん、払えなければその場しのぎの処置をして終わりです。
 治療なんてとんでもないと断られます。
 そんなとき、きっと私たちはこう言うでしょう。

「医者は人の命を救うのが仕事だろう!瀕死の人間を見殺しにする気か!」

 彼らだってできることなら救ってやりたい気持ちはやまやまです。
 しかし、その医療費は誰が負担するというのでしょう。
 高度な医療をボランティアでやれという、患者のとんでもない要求に応える医者がどれだけいるのでしょう。

 実際、そんなことが起こっている国は思いのほか多いのが現状です。
 私の知っているかぎりでもアメリカ合衆国、インドネシア、シンガポールなどがあります。
 それぞれの国で独自に自己負担額を減らす試みは行われていますが、万が一払えないということになると、とてもドライな対応が待っていることは共通しています。

 ボランティア精神あふれる人が国に多額の寄付をすることによって医療費をまかなってくれたり、医師自身が自腹を切ってまで医療に従事するようになれば別の話ですが、それは過度な期待というものでしょう。

 医療は義務ではなく、サービスなのですから。

 なーんて話をこんな曲を聴きながら書いております^^。

2014年12月29日月曜日

やっぱり良さがわからなかった『アナと雪の女王』

 以前、『アナと雪の女王』が大ヒットした理由をブログ記事にしたんですよ。

 アナと雪の女王がヒットした理由を勝手語り

 劇場まで観に行ったくせに寝てしまいまして、本編の記憶もあいまいだったので、年末休みを利用して観賞しなおしました。
 絵にするとこんな感じでしょうかね(完成させる気ゼロのテキトーさ^^)。
 似せないようにしてますが、下手したらデ○ニー様のゲンコツが飛んでくるかもしれませぬ。


 まあ、あれですよ。
 触れた物を氷に変えてしまう魔力を持った姉。
 妹(アナ)のあまりの空気の読めなさっぷりに姉がキレて、封印していた力が爆発。
 あっ、ちなみにみんなが『レリゴー、レリゴー』と騒ぎまくってる歌は姉が自分の力を爆発させたときの心境を歌ったものです。

 しかし、日本では『雪女』の昔話がありますし、『雪の女王』というアンデルセン童話も別に存在しますから、コンセプトとしての目新しさはゼロです。
しっかり観賞した後でも、「大」ヒットの理由がわからないという、何とも後味のわるい結果となりました。
 日本でヒットした理由は、やはり入念なプロモーション、カラオケ大会、チビッ子パワー、ミーハーな人が意外と多かったということくらいしか思いつきません。
 大ヒットしたからといって過大な期待を寄せると肩透かしを食らうでしょう。
 でも、一緒に歌いたいとか、デズニー大好きという方にはおすすめですよ。絶対に。
 まったくフォローになってないな……。

2014年12月10日水曜日

衰退に向かっている年賀状文化

 年賀状発行枚数が年々減少しているようです。


参考記事:年賀ハガキの利用者が減っているらしいので発行枚数を調べてみた[外部リンク]
 書面にしたためる有料の郵便よりは、基本コストゼロで、しかもすぐに思いを届けられるメール、SNS、LINE などに移行する利用者が増加傾向にあるのは世の流れなのかもしれません。
 そんなわけですから、日本郵便の必死のアピールもうなずけますね。
 また、毎年この時期になると募集がかかるのが年賀状仕分け、配達アルバイトスタッフ。
高校生の頃に、年賀状仕分けのアルバイトをやったことがあります。
 今では考えられないようなやっすい賃金で、殺伐とした雰囲気のなかで黙々と年賀状を仕分けていると、若いながらにとても時間を無駄にしているように思えました。

 もちろん、翌年は誘われても断りました。
 最近のニュースでも年賀状仕分けスタッフが不足しているとか、募集をかけても人が集まらないとか聞きます。

 ネット時代ですから、探せばもっと割の良いアルバイトがいくらでも見つけられる環境が整っていることも大きいでしょう。
 今はもっと良くなってきていると信じたいところですが、年末年始の超(?)多忙な時期にわざわざ出てきてくれる人を最低賃金スレスレでこきつかう体制もよく見なおす時期に差し掛かっているのかもしれません。
「出したい人がいるんで」
 と失笑を買うような年賀状コマーシャルを作っている場合じゃないでしょうな。
 そんなとこアピールしても、せいぜい「あっそ」と言われるくらいなので。
 でもって、今年は……
「ちゃんと、大人。」
 面倒くさいことを義務感でやらされている雰囲気が漂ってるね……。

2014年11月26日水曜日

何か?

このフレーズが苦手なんですよ。
 と自分で勝手に思っているだけなので、好きで使ってらっしゃる方は以降無視していただければと思います。
「何か?」
 と尋ねられると、反射的にどーでもいいよと思ってしまいます。
 代わりに文章として完結させてほしいです。
「私、バカなんですが、何か言いたいことありますか?」
 ございません。
「私そういうの嫌いなんですが、何か意義ありますか?」
 ございません。
これを日常的に聞かされるようになったら相当苦痛だな……。
「何か?」と言う以上は、誰かに質問を投げかけているのでしょうが、とても不躾で傲慢に聞こえます。
このフレーズは、派遣社員の生きざまをテーマにしたドラマ「ハケンの品格」で、スーパー派遣社員の大前春子が連発していた影響で、デキる奴が言っていい特権フレーズみたいになったのが災いしているような気がいたします。
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ドラマの中では、そういう嫌味なクチを叩く女だが、性根はイイ奴だったというフォローが必ず入るので、嫌味なところがちょうどいい具合に打ち消されていたのですが、これが普通の日常会話だったら嫌味しか残りませんがな。
「何か?」は日本語の言葉づかいにうるさい人には結構カチンとくる表現かもしれませんので、私は日常生活でもネットでも避けるようにしています。
というのが私のスタンスですが、何か?
ほら、ちょっとカチンときたでしょう^_^;?

2014年10月21日火曜日

空港ラウンジの話

空港にはラウンジスペースというエリアがあります。
ラウンジスペースは、一般的に航空会社のナンとかクラブの会員や、クレジットカード会員が使うことができますが、私の場合は、クレジットカードにラウンジスペースの利用権がついているタイプのものを利用しています。
会社や空港にもよりますが、ラウンジスペースではちょっとした飲み物や軽食がいただけるのが一般的で、サービスのよい所ですと、シャワーや仮眠室なんかも利用できます。
フライト中は眠れない人や、できるだけ静かに過ごしたい人にはもってこいのサービスで、一回使ってしまったら最後、一般の待合スペースは避けるようになってしまいますね。
参考:
成田空港のクレジットカード会社・有料ラウンジ
羽田空港のエアポートラウンジ
JFK 国際空港の Vigin Atlantic ラウンジ
空港にはいろいろな人がいますし、必ずしも全員がおとなしくフライト待ちをしているわけでもありません。
 旅行気分ならそれも旅の思い出になりますが、仕事での移動中はまた別の話です。
 ソファにゆったりと腰掛け、コーヒー片手に読書しながらウトウトフライト待ちできますので、機会があれば試してみてはいかがでしょうか。
とは書いたのですが、一回だけラウンジを使って後悔したことがあります。
 子供連れの方でしたが、その子が声量をコントロールできないらしく、奇声を発しながら親としゃべるので、あれはまいりましたね。
 子供だから仕方ありません。
 私だって子供時代はありましたし、赤子のときは泣きわめいていたことでしょうから我慢しましたが、ラウンジより一般の待合スペースの方がまだ静かに過ごせたかもしれないと後で思いましたよ。
こういったことも、その日その時の運というやつでしょう。

2014年10月6日月曜日

見舞いの品

入院した人がいるので、見舞いに行ってきました。
 もともと、花や果物を贈るのが嫌いなので非常識と言われても仕方ありませんが、事前にそういう見舞い品は持っていかないと伝えてありました。
 というわけで、私は手ぶらで来ると思われていたようです。
 ちゃんと持っていきましたよ。こういうやつですが。


 韓流イケメソ俳優好きということで、これなら絶対にイケる!と思いましたね。
 これを手渡ししたところ、それは大層な喜びようでございました。
「病室のテレビは BS 映らないので韓流ドラマ見れなくて困ってたの。」
 と言いながら、私が帰るまで名鑑の俳優写真を食い入るように眺めていました。
 翌日、調子はどう?と探りを入れてみたところ、体調の話はそっちのけで延々と俳優名鑑の話をされましたね。
 私は別に韓流ファンじゃないからなあ……と伝えるタイミングをすっかり逃したままになってしまいましたが、ともあれ、入院ライフにちょっとしたスパイスを添えられたようで何よりでした。

2014年9月2日火曜日

不思議なデート

ブログの方で書いた虫の夢が意外とウケが良かったようですが、先日また変な夢を見たのでこちらにアップしておきます。
どういうわけか、母と叔母と三人で超高級デパートに来ていました。
 別に看板に超高級と書かれているわけではないのですが、内装から商品まで超一流のものがそろっており、あきらかに一般庶民向けではないことは見てとれました。
この不思議な組み合わせでウインドウショッピングをしていたところ、叔母がスカーフ屋の前ではたと足を止めました。
 絹孔雀の高級シルク100% スカーフです。
 その中でも一番地味な藍染風の色のスカーフを手に取り、何度も綺麗な色ねえと言いながらうっとりしていました。
 そのお値段は税抜きで 10万円でした。
私の母は 10万円と聞いた時点で購入する気は失せたのですが、叔母はもう買う気満々でした。
 販売員も叔母のことをお目が高いとお世辞を言いながら、スカーフを綺麗に畳んで桐の箱にしまいました。
 さていよいよ包装というときになって、専用の包装紙を切らしていたことに販売員が気付きました。
「奥様、いかがいたしましょう。私どもの専用の和紙の包装紙でお包みしたいのですが、あいにく切らせております。このままお待ちいただければ、他の代理店で包装するように手配いたしますが。」
「じゃあ、待ちます。」
そんなわけで、そのデパートの最上階で食事でもしながら待とうということになりました。
 母と叔母は揃ってドリアを注文し、私は何故かざるそばを注文しました。
 すると、そば店の主人が申しわけなさそうにやってきて、そばはこれから手打ちするので 20分はかかると言うのです。
お待たせするので申しわけないと、出されたのがバゲットと蜂蜜。
 普通、こんなのを食べたら後のそばが入らないと考えるものですが、なぜか私はサービスのよさに感動していました。
バゲットをかじりながら二人の会話をフンフンと聞いていると、近くにバゲットを包むのによい紙が見つかったのでちぎってみたところ、何とそれは御進物用ののし紙(記名済み)でした。
やべえことしちゃったなと思っているうちに、打ちたてのそばが運ばれてきました。
 そしてその後ろから例のスカーフ屋の店員が事情を説明しにやってきました。
「スカーフは仮包装させていただきましたが、こちらの代理店できちんと包装いたしますので、お持ちになっていただけますか?」

 どうせすぐ開けちゃうんだから、包装してもらわなくてもいいよね、と勝手な想像をふくらませる私とは裏腹に、叔母はその特別な包装をしてもらう気持ち満々で10万円+消費税の支払いを済ませました(しかもテーブル会計)。
「あの……すみません。ここにあったのし紙を破いてしまったのですが……。」

 とついでに謝罪してみたところ、また書きますので大丈夫ですよと店員は言ってくれましたが、その表情は妙に引きつっていましたね。
結局バゲットを口にしただけで、そばにありつけないまま目が覚めてしまったのですが、母にこの夢の内容を話したところ、ちょうどその前日に叔母から電話があったということでした。
ちなみに、私は母と叔母と三人で出かけたことは一度もありませんし、叔母にいたってはもう一年以上会話を交わしていません。

2014年8月1日金曜日

いきなりのサオ話

今回は、釣りが趣味の父の話をします。
 一日おきに川に行くほどの釣り好きですから、通っているうちに顔見知りが増え、釣り仲間の輪が広がっていきます。
体調が芳しくなかったり、所用で釣りに行けないときは、お誘いの電話もかかってくるようです。
 しかし、父も若いとは言えない年齢ですから、悲しい出来事に直面することもあります。
数人は、足腰が弱くなり釣りを引退。
 一人は釣り中に心臓発作が起こり、父の目の前で死亡。
 救急車が来るまで必死に心臓マッサージをしたらしいですが、間に合わなかったようです。
 釣り仲間をこのような形で失うのは辛いものですが、亡くなった方も、大好きな釣りの最中にお迎えが来て本望だったのかもしれません。
ところで、少し前に不思議なことが起こったと話してくれました。
 とっぷりと日も暮れ、釣り場を片付けていたときのことです。
「これ、やる。」
父の隣で一日中釣り糸を垂れていた男から、立派なカーボン製の釣竿とケースを手渡されました。
 その釣り場では初めて見かける初老の男だったそうですが、いきなり釣竿を頂戴するような義理もないので遠慮していたら、父の胸にその釣竿を押しつけて去って行ったそうです。
「金の斧、銀の斧の妖精みたいな話だね」と言うと、爺さんだったけどなと父は笑っていましたが、不思議なこともあるものです。
 それ以来、その老人は一度も釣り場に姿を見せていないということです。
思うに、その老人は何らかの理由で釣り納めに来ていて、隣で楽しそうに釣りをする父なら釣竿を大切にしてくれそうだと考えたのでしょう。
 いくら最後の日であっても、見ず知らずの者に物をやるという発想がない人が多い中で、こういうことがあるというのは幸運の一期一会といえますね。
その老人が幽霊だったとか、仙人だったとかいうことは、まずありえないでしょう。
 現に、その釣竿は消えるどころか、いまも父の手の中で大活躍していますから。

2014年7月22日火曜日

テキトーに考える話

「よく考えてからモノを言え」と言われ育った方は多いのではないでしょうか?
 ご多分にもれず、私もよく言われてきました。
私はもともとマシンガンのように立て続けに話す方ではないですが、無口というわけでもありません。
 ただ、子供の頃はよく頓珍漢な質問をしては周囲を困らせていました。
両親は私の「これなに?」「どうして?」攻撃に相当頭を悩ませたようですが、それでもテキトーにあしらってくれていました。
 ところが、当たり前のことですが、十代も半ばになると、他人のリアクションが必ずしも両親とは違う事に気付かされることになります。
「うるさい」
 「そんなの知るか」
これらのフレーズは思考停止につながります。
 子供はピシャリと叱られたことよりも、質問に対する答えを何故もらえなかったのかが気になるものです。
 しかし、悲しいかな、このようなフレーズに毒されると、子供達も次第にいろいろ考えを巡らせることをやめる癖がついてしまいます。
そうやって歳を重ねていくうちに、それが当たり前になっていくのかもしれません。
私もあまり親しくない人の前ではバカがダダ漏れになるような質問をしないようにしていますが、気心の知れた相手には、知りたいと思ったことはあまり深く考えずに聞いてしまいます。
もう、まさに外でそんな質問したら人としての常識を疑うと言われるようなことまで聞いてしまうので、コイツ本当は大バカなんじゃないかと思われているかもしれません。
 そんな質問に根気よく付き合ってくれる周りの人たちには感謝するばかりです。
周りの人たちにいろいろ聞きながら、自由に考えを膨らませるというやり方は、実は何かをやろうと思ったときの近道になる可能性があります。
 あまり親しくない人に質問しまくると、クレクレ君で敬遠されてしまいますが、親しい間柄なら、自分でもいろいろ考えているが、他の意見も聞いてみたいということは伝わることが多いのです。
自分ですべて抱え込んでしまうよりは、他から情報をバランスよく吸収しながら考えをまとめていく方法は、仕事面でも多いに役立っています。
それが傍から見るとテキトーに考えているように見えるんですけどね。

2014年7月7日月曜日

批判のさじ加減を間違えるとただの中傷になる

先日通りかかったブログで、管理人が記事の中で訪問者に対する苦言を呈していました。

 ブログは基本的には管理者のものです。
 ですから、管理者が責任を持ってブログを管理すればよいのですが、やりかたひとつで管理人の心の狭さが如実に出てしまうことがあります。
匿名で活動していても、発言の一つ一つがその人の人格を形成する要素となります。
 いくら個人情報を伏せているつもりであっても、続けているうちに居住地域、家族構成、仕事内容、趣味、思考パターンなどがダダ漏れになっていきます。
いろいろな方の記事を拝見していると、神経質なタイプ、些細なことは気にしないタイプ、俺様タイプ、言葉の端々に劣等感が垣間見えるタイプなどがいろいろと見えてくるのですが、ちょっとした身の周りのことや、一般的に認知されているような話題に触れている分には気楽に流し読みできるでしょう。
しかし、特定の誰かを批判してしまったら話は別です。

 その誰かの行動が自分のブログ方針に沿わない場合、それに対する管理者の反応次第で、第三者は冷静にその管理者の人となりを評価することになるのです。
 特に、人格否定に走ってしまった場合は、ブログ管理者は多くの訪問者を失うリスクを覚悟する必要があります。
誰だって人格否定されたらイヤな気分になるものです。
 コメント欄にちょっとした意見を書き込んでみたら、感情的にその投稿者の批判を始める管理人のブログには脅威しか残りません。
言葉自体は丁寧であっても、その張本人が特定できること、そして冷静さを欠いた発言をした時点で、悪口や中傷と同程度のレベルになってしまいます。
 一旦敵に回したらネチネチと後追いするタイプのブログ管理人のところには、絶対に本音など書けないと思う訪問者も出てくるでしょう。
訪問者は、他人の意見をスルーするスキルがブログ管理人に備わっているかどうかで、安全なブログかどうかを判断しています。
 ブログに悪口を書くと、結果的にリピーターが減ってしまうのは、まさにこの部分にあるのです。
どうしても批判しなければならない状況に陥ったならば、私的感情を排除したうえで、冷静に言動に対する問題点の指摘に留めるのが無難です。
 手短に伝えるだけでも訪問者にはきちんと伝わります。
 グダグダと繰り返し説明を入れつつ訴えるのはかえって逆効果です。
批判の対象となった人が鈍感な人なら、公の場で叫ぶという手段に走る前に、個人的なメッセージのやり取りで解決を試みることも、ブログ管理者の力量が試されるところともいえます。
批判された方は、程度の差はあれどカチンとくるものです。
 強く批判すればするほど、その跳ね返りが大きくなる可能性があります。
 正論を述べているつもりの自分の方が、他人様からは信用ならない存在かもしれません。
批判→ブログ炎上コースへのシナリオを巧い具合に絶つ手段として、一歩引いて考えることもときには必要なのです。